解答


4年前のこと。


自分が絵で食べてゆくにはとりあえずえちい方向に行くしかない!
媚びるしかないと思い


萌え系のイベントに出たのです。


作品を作っているときは良かった


客観的に見たときに、私はこれなのか、こんなんなんか
と思った。




こんな作品を作るために今まで努力して絵を描いてきたのかと思って
それ以来まともに絵が描けなくなった。


最近、絵を描くということは、私にとっては
「自分を書く行為」に近いのだと気がついた。


自己の存在証明。私が私であるということ。



それを気づかせてくれたのはバイト先の店長だった。


店長からの問いかけ
今もし、私が子供を産んだとして、私がその子を育てられるか。


今の私にはその覚悟が無いから、無理、だと思います、と答えた。


店長からの答えは
私なら、一応、育てることはできる。
ただ、絵がかけないとかそういうことになったときに
私が私として保てられるかどうか、そこが問題だ。というもの。


…確かにそうである。


絵を描くことは自分を書くことだけど、自分がどこにいるのかわからないと
当然自分を書くことはできない。
絵を書けないと更に自分が何なのか分からなくなる。
自分が何なのか分からないと、何をすべきなのかも何も、分からない。
壮大な悪循環。私=絵が中心という…(笑)


もともとのハジマリは、萌え絵を書くのは私じゃないということ。
エチくたって、なんだって、少しくらいの異要素が混ざったくらいで
無くなる個なんて、そんなもの、はなっから個じゃない。
18禁の絵を私が描こうとも、きっとその中に、私は私でいられる。
私はそんな小さい個じゃない。




去年の丁度今頃、盛大に自己崩壊を起こして
大学行かない、仕事しない、動かない、絵もかけない
なんてことをしていた




多分、近いうちにまた同じことが、起こる。


でもきっと、今回は、私は私でいられると思うのだ。




産まれて地獄を知るよりは
地獄を知る前に、もう一度無に還った方がいい。


本当は。本当は。
望まない時期に火を灯してはいけない。



色々なことから復活おめでとう。